海外赴任命令に異議申し立て、9回の団体交渉で子会社への出向で決着しました!

2年前の解決事案を整理しました。今後も少しずつ整理をしていきます。解決した当該労働者が報告したものを整理したものです。

海外赴任命令に異議申し立て、9回の団体交渉で子会社への出向で決着しました!                  

2021年6月9日、上司である担当取締役に呼び出され「翌日6月10日の取締役会にて、Aを海外子会社へ出向させる決議をする」と告げられ、「君に拒否する権利はない」と言われました。事前に会社には自らの持病と高齢の母親の面倒を見なければならない家族の都合により海外赴任(海外子会社へ出向)は出来ないと文書で伝えていたのですが‥‥。

翌10日に実際に取締役会で決議され、その旨が全社的に公表されました。会社としては、私の逃げ道をふさぐ意図があったのでしょう。

6月9日時点では頭が真っ白になっていたのですが、どこか相談先を探していたところ管理職ユニオン・関西にアクセスしたわけです。管理職ユニオンのことは20年以上前から知っていました。管理職だからといって必ずしも労働基準法上の管理監督者であるわけではないということを、その頃に学びました。私は、当時財務部長でした。

また海外くらい行けばいいじゃないかという意見もあるかと思いますが、さらなる悪条件として海外子会社の社長がいわゆるサイコパス・クラッシャー上司と言われる人で、過去2年間で海外赴任の社内公募に3名応募し、実際海外赴任した人たちが数か月持たずに「無理です。帰国させてください」と嘆願してくるくらいのクラッシャーぶりらしいのです。6月14日、管理職ユニオン・関西に伺い、そういった経緯を仲村委員長に相談させていただいたところ、親身になって聞いていただき加入を勧めていただいたことで加入を決断しました。

急に私の海外赴任を取締役会で決定され、どうしようもなく組合の門を叩いたのが2021年6月10日のことでした。それから一応の解決をみた日が2022年6月10日ですので、ちょうど1年かかったことになります。

団体交渉は計9回、もっと早いペースで団体交渉するというイメージでしたが1.5カ月に1度くらいのペースでした。これは団交時、組合サイドからの宿題に対する会社側からの回答が引き延ばされぐずぐずしていたことが主な原因です。嫌がらせのつもりだったのだと思います。

これ以外にも、会社側からは様々な嫌がらせをされました。いくつか記しておきます。

○当時、私が部長であった部を解体する‥‥組合は、取締役会決議の取消し⇒私が元の部に戻ることを要求したのですが、戻る部を途中で解体されました。組織設計は会社側の専権事項だから自由にできるという認識らしかったです。

○人事査定時の私の人物評価を0点にする・・・人物評価項目は10項目ほどあるのですが、全て0点にされました。リーダーシップという項目0点の理由が「部下の教育が出来ていないから。そもそも会社が部を解体したから部下はいないのだが‥‥。倫理項目も0点、嫌がらせで部を解体するような人たちに0点って言われてもという感じです。チャレンジ項目も0点。「海外赴任にチャレンジしないから」と言いたいのだろうが、事前に家庭の都合だと何度も行ってきたのですが‥‥。人事査定も会社側の専権事項だからというのです。

専権事項が大好きなようで、海外赴任を含む人事異動も会社側の専権事項のはずなのに、私が組合に入って抵抗してきたのでむかついたのだろうなと思います。

私にはむかついていたようですが、組合には相当びびっていたようです。びびっていたからこそ、第2の私の発生を阻止すべく、私に対して徹底的に嫌がらせをし、他の従業員に思い知らせようとしていたのだと思います。

社内でもう一人組合に加入する人が現れれば、こちらサイドはとても強くなると思いました。私もそれは強く同意できます。ですので、社内で私に対し延々愚痴を言う人(結構おります。私には言いやすいようです)に対し、「ならば組合に入ってみては?」と持ち掛けてみるのですが、そう言うと急に引いていく人たちを見るにつけ、私に対する会社側の嫌がらせは一定の効果を上げているのだろうかと思うこの頃です。めげずに地道に組合活動を続けていくつもりです。

経緯としては以下のようになりました。

2021/6/10 私の海外赴任取締役会決議。管理職ユニオン・関西に相談に伺う。

2021/6/30   第1回団体交渉 会社側出席者は全員弁護士。話にならず。

2021/7/15   第2回団体交渉 第1回と同様。

2021/8/26 第3回団体交渉 会社側として弁護士と何の権限もない管理部部長が出席したが、会社側の意見は弁護士から伝えられる。会社側「海外赴任できない理由を教えて欲しい」と、今頃?と思いましたが、9/15に文書で会社に提出(家族の都合のため)。

2021/9/30 第4回団体交渉 会社側「日本在住で良いので海外子会社出向して欲しい」と。どうやら組合に入った私は絶対に本社に戻すつもりはないらしい。ですが、それは良いので労働条件を先方へ確認しようとしたが、会社側答えられず一旦持ち帰り会社幹部と検討すると。

その後組合から再三、回答を要請するも会社側から音沙汰なし。組合で労働条件を要求することになった。

2021/11/24 第5回団体交渉 組合からの要求する労働条件の提示。年内の回答を要請。

2021/12/28 年内ぎりぎりに労働条件に対する会社側の回答。ほぼゼロ回答。

2022/1/17 第6回団体交渉 会社側、具体的回答せず。

2022/2/7 第7回団体交渉 労働条件、特に賃金部分が折り合わず決裂。

2022/3/24 第8回団体交渉 組合から労働条件を受け入れるよう迫る。一部折り合うも協議継続。

2022/4/12 突然、会社が全社員に対して「人事制度の改正」を発表。中身をよく読むと改正ではなく改悪だった。この人事制度の改正は、それまでの団体交渉の中では一切触れられておらず、不誠実団交の極みとも思えるのですが、とりあえず会社側に趣旨を説明させるべく団交申し入れ。

2022/5/17 第9回団体交渉 制度の趣旨を説明されたが、説明の意味が分からずどのような労働条件になるのか提示するよう要求。

2022/5/27 会社側より労働条件の提示。人事制度に私をはめ込むに当たっての会社側の多少のアップの譲歩があるので合意しました。私に対し形式的には会社側の意見を押し通した上で(従業員の手前、そう見せる必要があったのだと思います)、私の方は大阪勤務、労働条件維持(ほんのわずか賃金アップ)の実質を取った形です。

2022/6/10付の確認書を取り交わし妥結という形になりました。

この1年、長かったです。途中、心が折れそうになったことも何度かありましたが、都度、励ましていただいた組合の方々に感謝です。また、今まさに苦しかった私のような立場の方もおられるかも知れません。そのような方々には応援という形で、今後も組合に協力していく所存です。

【たたかい終わっての感想】

○組合に加入させていただくまで、自らが当事者となるような団体交渉をすることが自分の人生であることなど想定しておりませんでした。不安感もありましたが、終わってみれば相談時にあれほど温厚だった仲村委員長の武闘派ぶり(失礼な言い方で恐縮です)に対する驚きの方が強かったです。事前に仲村委員長が「個人で話し合うのと団体交渉は全然違うから」と仰っていたのが実感としてわかりました。

○組合員学習会があり参加者の方々のそれぞれの状況を聞く機会がありました。状況はそれぞれでしたが、同じような境遇で皆さん頑張っておられることに勇気づけられました。 ○仲村委員長や執行委員、団体交渉に参加いただいた組合員の方、無条件に私の味方をしていただける安心感は加入しなければ得られないものでした。方々がとても精力的であること。自身の年齢が50才で人生の下り坂を意識していたのですが、まだまだ頑張らねばと考えるようになったことも収穫です。

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